阪神3歳S勝ち馬列伝~栄光なきGI馬たち~
『じ~わんって、何さ』
阪神3歳Sの時、ゴールドシチーの故郷である田中牧場では、生産者の田中夫妻の間で、深遠なる会話がかわされていた。レースの時、田中夫人はちょうど買い物に出かけていたため、田中氏は1人テレビで、自分の生産馬の快挙を見つめていた。優勝が決まってすっかり舞い上がった田中氏は、その後夫人が帰ってきた際に、喜び勇んでゴールドシチーが勝ったことを教えてやった。
ところが、夫人が示した反応は、田中氏の期待したものとはかけ離れたものだった。
「あら、勝ったの。よかったわね」
もっと劇的な反応を期待していた田中氏は、思いのほか平静な夫人の反応に頭に来た。
「勝ったんだ!」
「よかったじゃない」
「Glだぞ!」
「『じ~わん』ってなにさ?」
当時はまだグレード制導入3年目で、競馬界にあまねく新制度が周知されていたわけではなかった。そもそも零細牧場だった当時の田中牧場では、生産馬が中央競馬にいくことすら、めったになかった。そのため、田中夫人は「Gl」がなんのことなのかを知らなかったのである。
『波乱の幕開け』
閑話休題。こうして西の3歳王者に輝いたゴールドシチーは、最優秀3歳牡馬にも、朝日杯3歳S(Gl)馬のメリーナイスとの同時受賞ながら、見事に選出された。
もっとも、この年は有力馬のデビューが遅れるケースが多く、朝日杯3歳Sや阪神3歳Sには間に合わず、あるいはあえてスキップした素質馬が多いとされており、実力の評価は決して高くはなかった。最優秀3歳牡馬に選出されたといっても、記者投票の結果は、悪く言えば「どんぐりの背比べ」の大激戦であり、そこでもゴールドシチーは、53票のメリーナイス、40票のホクトヘリオスに次ぐ3位の39票しか得られず、選考委員会での逆転での選出だった。「優駿」誌のフリーハンデでも、ゴールドシチーはトップタイとはいっても、5頭並びの54kgという位置づけにすぎなかった。
こうした空気を反映してか、一般ファンの彼に対する信頼も薄く、ゴールドシチーが東上しての初戦となったスプリングS(Gll)では、なんと5番人気にとどまっている。
この日のゴールドシチーは、仕上がり途上だった上、いつにもまして、いれ込みがひどかった。道中もかかり通しで、マティリアルによる伝説の追い込みが決まったはるか後方で、6着に沈んでしまった。
もっとも、ゴールドシチーの目標はあくまでもその先だった。清水師も、本番に向けて巻き返しを誓いはしたが、悲観はしなかった。清水師を絶望に陥れる事態が起こったのは、皐月賞直前のことだった。
スプリングSの後、惨敗から巻き返すべく進められた調整は、至極順調なように思われた。ところが、いよいよ皐月賞(Gl)を4日後に備えて長距離輸送を済ませたゴールドシチーは、その後になって突然セン痛を起こしてしまったのである。
不幸中の幸いというべきか、彼のセン痛の程度は軽く、4日後に皐月賞にも、出走することはできた。しかし、世代のトップクラスによる争いとなるレース直前に体調を崩した影響は、非常に大きかった。皐月賞当日のゴールドシチーには、いつものあふれるような生気は、まったくなかった。いれ込んでいるいつもの様子と比較して「落ち着いている」と見た人もいたものの、実際にはパドックで何度も輪を外れ、勝手に帰ろうとして周囲の爆笑を誘ったという逸話が示すとおり、ゴールドシチーはこの日、走ることを嫌がっていた。前走の大敗もあってすっかり人気を落としていたゴールドシチーは、トラブル続きも嫌われて、単勝11番人気にとどまった。
『禍転じて・・・』
しかし、「禍福はあざなえる縄の如し」という格言もあるとおり、不運と幸運との差は、事態に直面する当事者が思うより、はるかに小さなものに過ぎない。この日のゴールドシチーは、まさに禍が福に転じた好例となった。
スタート直後のゴールドシチーは、後ろから2番手という位置だった。普段の彼ならば、前にたくさんの馬がいることが許せずたちまちかかってしまっただろうが、この日の彼にはそんな元気すらなかった。
本田騎手は、ゴールドシチーの体調を考えると、いい脚を長く使うことはとても期待できないと考えた。ならば、道中は後方で「死んだふり」をして、最後の直線での一瞬の脚にかけよう・・・。
すると、いつも本田騎手の思うとおりには動いてくれないゴールドシチーが、この日だけは実に従順に本田騎手の手綱に従ってくれた。この日はセン痛で馬に元気がなかった分、騎手に反抗する元気もなくなっていたのである。おかげで本田騎手は、十分に末脚をためることができた。また、前がつまらないように馬を外に持ち出した際にも、前が開いたら馬がいきりたって行ってしまうこともなく、余裕を持って仕掛けどころを待つことができた。
すると、本田騎手の好騎乗によって、禍は転じて福となった。レースは直線でサクラスターオーが早々と抜け出し、栄冠の行方は既に決したものの、その後ろでは馬群が団子状になり、ほぼ横一線での壮絶な2着争いが繰り広げられた。そんな中で、本田騎手の指示どおりに動くことができたゴールドシチーは、体調が最悪でも発揮できる一瞬だけの切れ味で直線勝負に食い込み、戦前の低評価を覆して2着の座を確保したのである。
『夢は府中へ』
体調不十分な中で2着に頑張ったゴールドシチーの皐月賞での走りは、清水師らにダービーを意識させるものだった。未経験の東京競馬場を経験させるため、ゴールドシチーをNHK杯(Gll)で使いたいという希望を持っていた清水師だったが、不完全な体調で爆走した馬の疲労を考えて、皐月賞の後はダービー(Gl)へと直行させることに決めた。
そのかいがあったのか、皐月賞の後、ゴールドシチーの体調はただ回復するにとどまらず、みるみる上向いていった。ダービー当日、ゴールドシチーは今度こそ、抜群の仕上がりで大一番に臨むことになったのである。最悪の状況だった皐月賞で2着に突っ込み、さらにその皐月賞でただ1頭彼より前にいたサクラスターオーは、脚部不安を発症して戦列を離脱している。これで色気をもつなという方が無理な話である。
当日のパドックには、皐月賞で見せた、走りたくない様子を隠さない気弱なゴールドシチーの姿はなかった。代わってそこにいたのは、周囲をあきれさせるほどのいれ込みで、抑えきれぬ闘志を前面に押し出した、いつものような「不良少年」ゴールドシチーだった。本馬場入場の時、早くもレースが始まったかのように駆けていくゴールドシチーは、いかにも大仕事をやってくれそうな雰囲気を漂わせていた。
『謎の後退』
ところが、ゴールドシチーは一生に一度の晴れ舞台で、謎の走りをしてしまった。ゴールドシチーはスタートこそ心配された出遅れもなく、うまく中団につけることに成功した。しばらくすると無理なく、しかし確実に、前との差を詰めていく気配さえ見せていた。しかし、第2コーナーを過ぎた向こう正面になって、それまで気持ちよくじりじりと前進していたはずのゴールドシチーは、突然減速してしまった。
ゴールドシチーは、第3コーナーあたりではもう後ろを数えたほうが早い位置まで後退していた。それまでの流れのよいレース運びが、この後退によってまったくの無駄になってしまったのである。
直線に入って後方から一気に伸びたゴールドシチーは、ちぐはぐなレースをしたにもかかわらず、4着に突っ込んできた。一度後方まで下がりながら4着まで突っ込んできた馬の能力はさすがだったが、それだけに惜しまれたのは、謎の後退だった。もし後退する前の位置どりから、同じ末脚を繰り出していたとすれば・・・?
この年のダービーは、メリーナイスが6馬身差の圧勝を遂げたレースとして記憶に残るものとなった。ゴールドシチーがこんなヘンな走りをしなければ、四白流星の3歳王者2頭による壮絶な叩きあいが展開され、史実とはまったく異なる形で記憶に残るレースになっていたかもしれない。しかし、ゴールドシチーは負けた。ダービーで謎の敗北を喫したとなると、関係者の関心は、どうしても犯人探しに集中せざるを得ない。
この時の謎の後退は、マティリアルの末脚を恐れて勝負どころで意図的に馬を下げた、本田騎手による騎乗ミスだとされた。もっとも、本田騎手に言わせると、この時のゴールドシチーは、彼の指示を無視して突然自分で走るのをやめてしまったのだという。彼の言によれば、
「馬が急に走る気をなくして、押しても叩いても、何の反応も示してくれなくなった」
とのことである。本田騎手が阪神3歳Sの頃からひそかに心配していた、レース中に気を抜く悪いくせは、その後しばらく収まっていたにもかかわらず、よりにもよってダービー当日に再発したのである。
しかし、ダービーの敗因が「馬がヘンな奴でした」では通らない。皐月賞のときと違って馬の体調は万全であり、さらにちぐはぐな走りをしながら4着という一応の結果は残してしまった以上、
「もしあれがなければ・・・」
という声は強かった。結局誰かが責任をとらなければ収まりのつかない状況の中で、本田騎手の抗弁が聞き入れられることはなかった。彼はダービーを最後にゴールドシチーから下ろされてしまい、鞍上に復帰したのは1年以上後になった。本田騎手が鞍上に復帰した時期には、ゴールドシチーは5歳秋を迎えており、もう全盛期は過ぎていた。
『鞍上転々』
春のクラシックで良績を残した4歳馬は、夏休みを経て菊花賞(Gl)を目指すのが普通である。ゴールドシチーもその例に漏れず、神戸新聞杯(Gll)から菊花賞へ向けて始動することになった。ちなみにこのときゴールドシチーの鞍上は、前述の事情で本田騎手から猿橋重利騎手に乗り替わっていた。
新コンビの最初のレースとなったこの日の結果は、勝ち馬と0秒6秒差の3着だった。並みの馬ならまあまあというところだったが、西の3歳王者にして皐月賞(Gl)2着、日本ダービー(Gl)4着の一流馬としては、やや物足りない成績である。
「まだまだ使い足りない」
清水師は、菊花賞前にもう一度、ゴールドシチーを京都新聞杯(Gll)で使うことにした。このローテーションには、関西馬でありながらまだ一度も京都競馬場で走ったことがなかったゴールドシチーに、本番前の京都競馬場を、一度経験させておくことを目的としていた。このことには、ダービー前にNHK杯(Gll)を使えず、ダービー当日が東京競馬場初体験になってしまったことへの反省も含まれていた。
ところが、ゴールドシチーはせっかくの京都新聞杯で、今度は「テキの心、馬知らず」をやってしまった。ゲートを出る瞬間にいきなり外側に斜行したゴールドシチーは、隣の馬を転倒させてしまったのである。おかげでレースはスタート直後から大混乱に陥り、ゴールドシチーは当然のように失格となった。おまけに猿橋騎手は実効6日間の騎乗停止処分を食らい、菊花賞での騎乗も不可能になってしまった。
またも空白になってしまった鞍上については、いくつかの噂が流れたものの、結局菊花賞では、河内洋騎手が騎乗することになった。