ダイタクヘリオス列伝~女は華、男は嵐~
『勝つために』
毎日王冠で2着に敗れた後、岸騎手は、人気薄の馬に騎乗していた岡部幸雄騎手と小島太騎手からこんなことを言われたという。
「この馬のスピードは凄いな。これで口さえ開かなければ完璧なのに・・・」
道中でかかると、天高く口を開けて走り始める。この癖がダイタクヘリオスにとって大きなマイナスになっていることは、誰の目にも明らかだった。だが、分かっていても、対策がとれないこともある。阪神3歳SとマイラーズCでダイタクヘリオスに騎乗した武騎手からも
「まともに乗れれば、どれだけ強いか分からない・・・」
という評価を受けていたことは、以前に紹介したとおりである。関東と関西、ベテランと若手を代表する騎手から実力を認められるダイタクヘリオスだったが、実際にはGl未勝利のまま大一番を迎えなければならない。スワンSでは、大敗している。何か手を打たなければならない。
ダイタクヘリオスは、マイルCS(Gl)では、口を縛ってレースに出走するという荒療治に出ることになった。
だが、ファンはこうしたダイタクヘリオス陣営の努力と工夫などないかのように、単勝1180円の支持しか与えなかった。無論低い評価にはそれなりの理由もあり、追い切りでは猛烈に引っかかった挙句にばてて条件馬に負ける無様な姿を見せたことも影響していた。だが、ダイイチルビー、バンブーメモリーといったこれまでのライバルたちに加え、8戦5勝、レコード勝ち3回の快速外国産馬ケイエスミラクルにも人気上位を譲っての4番人気は、ダイタクヘリオスに対する信頼の不安定さを物語っていた。
人気を落としたダイタクヘリオス、忘れたころのダイタクヘリオスのしぶとさは、後には高く評価されるようになる。だが、当時のファンはそこまで深く考えてはいなかった。
『ふたつにひとつ』
ダイタクヘリオスは、実績の割に低い人気に反発するかのように、この日も猛烈に行きたがった。口を縛っているので、いつものように口を大きく開けることは物理的にできないが、その分引っ張る力に変わったように、岸騎手の手綱を前へと強く引っ張っていた。岸騎手の腕のしびれは、いつにも増して強烈なものだった。
しかし、岸騎手は懸命に手綱を抑えた。
「ハナにだけは、立つなよ・・・」
それが、梅田師の指示だった。気の良すぎるダイタクヘリオスは、人間があれこれ指示をしなくてもまじめに走りすぎてしまう。最初から先頭に立つようなペースでは、最後までもたない。だからこそ、それを抑えてやるのが、人間の仕事だ・・・。
岸騎手は、人気薄のカシワズパレスとパッシングルートに前を行かせ、3番手からの競馬を進めることにした。カシワズルートが作り出すレースの流れは、前半800mが48秒0という遅い流れに落ち着いた。遅い流れで、しかも前を走っている馬がいるとなれば、ダイタクヘリオスが黙っているはずがない。なだめすかそうとする岸騎手だが、ダイタクヘリオスの燃え上がる闘志を封印することなど、できようはずもない。岸騎手は、向こう正面から第3コーナーにかけて、早くも重大な決断を迫られることになった。
『戦局動く刻』
岸騎手は、とっさに決断した。
「行こう!」
手綱を通して伝わってくるダイタクヘリオスの手ごたえは、いつにも増して素晴らしい・・・もの凄いものだった。問題は、早くからスパートすると、最後まで脚が残らないのではないか、ということである。ダイイチルビー、バンブーメモリー、ケイエスミラクルといったダイタクヘリオスのライバルたちは、いずれも彼より後ろで競馬を進めるタイプである。早仕掛けは、即ゴール前で差し込まれることに直結する。
だが、岸騎手は、これ以上ダイタクヘリオスを抑えることは逆効果と考えた。馬は生き物である。自分自身が行きたい時に行かせてくれないと、機嫌を損ねて走る気をなくしてしまう。岸騎手が感じるダイタクヘリオスの闘志・・・馬自身の意思は、前半を終えた時点で、もう臨界に達しようとしていた。
岸騎手は、ダイタクヘリオスにゴーサインを出した。・・・すると、封印を解かれたダイタクヘリオスは、待ってましたとばかりに動いた。カシワズパレスやパッシングルートは、すべてを解放したダイタクヘリオスの敵ではない。ダイタクヘリオスの激流は、燃え上がる闘志とともに、前の馬たちを飲み込んでいく。