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ダイタクヘリオス列伝~女は華、男は嵐~

『前へ!』

 とはいえ、どんなにひどい内容でも、勝ちは勝ちである。通算3戦目での「新馬勝ち」を果たしたダイタクヘリオスは、その後も元気がありあまっていたため、中1週でデイリー杯3歳S(Gll)に出走した。初勝利の次のレースが重賞初挑戦という思い切ったローテーションだったが、ダイタクヘリオスは強い相手に混じって4着に残った。

 続くさざんか賞(500万下特別)でも、ダイタクヘリオスは逃げて自ら先行総崩れ必至のハイペースを作り出すという玉砕的な作戦に出た。・・・しかし、ダイタクヘリオスが作り出したペースのあまりの速さに、先にばててしまったのはついていった後続の方で、ダイタクヘリオス自身は、なぜか2勝目を挙げてしまった。ちなみに、ダイタクヘリオスの父であるビゼンニシキもかつてこのレースを勝っており、目立たぬながらも、これは「さざんか賞父子制覇」となる。さらに、岸騎手も梅田師も、この時点ではまったく意識も予想もしていなかっただろうが、この日の勝利は、ダイタクヘリオスにとって生涯で唯一となる「1番人気での勝利」だった。

 入厩当初はそれほど期待していなかったダイタクヘリオスの思わぬ健闘に喜んだ梅田師は、ここからさらに連闘で阪神3歳S(Gl)に臨むことにした。3ヶ月足らずで6戦めという厳しいローテーションも、ダイタクヘリオスの地位を象徴している。血統的に未知数な部分が多い馬は、他の良血馬が調子を上げないうちに、使えるだけ使われることが多い。ダイタクヘリオスの場合、その行き着く先が関西の3歳王者決定戦・阪神3歳Sだった。

『開花』

 現在は東西統一の牝馬チャンピオン決定戦となっている阪神ジュヴェナイルフィリーズの前身である阪神3歳Sは、当時は関西の3歳馬のチャンピオン決定戦だった。

 この年の阪神3歳Sは、デイリー杯3歳Sを勝って無傷の3連勝を飾り、出走さえすれば断然の1番人気となったであろうヤマニングローバルの故障、戦線離脱によって、予想外の混戦となっていた。

 混戦の中で4番人気に支持されたダイタクヘリオスは、己の本能が命じるままに走り、この日も1000m通過タイムが58秒1という厳しいハイペースを自ら作り出していった。後ろの馬たちは、そのハイペースによって

「差し馬有利のハイペースになったから、ダイタクヘリオスはばてる。最後には必ずつかまえられる」

と判断し、視線を前よりも後ろへと切り替えた。・・・彼らは、ダイタクヘリオスという馬の実力、そして馬そのものを見誤っていた。

 直線の入り口で後方の有力馬たちが上がってきたとき、ダイタクヘリオスと後続との差はまだかなり残っていた。有力馬たちが全力で追い込んでも、ダイタクヘリオスが失速しない限り、届かない。結局、ゴール前までにダイタクヘリオスをつかまえることができたのは、7番人気の人気薄・コガネタイフウだけだった。自らハイペースのレースを作り出し、Gl馬にはなり損ねたものの、あわやというところまで持ってきたダイタクヘリオスは、コガネタイフウにこそアタマ差屈したものの、その実力をファンに知らしめたのである。

『師の教え』

 しかし、この日彼の鞍上にいたのは、主戦騎手の岸騎手ではなく、武豊騎手だった。この日の彼は、坪憲章厩舎のジャストアハードに騎乗し、ブービーに敗れている。ジャストアハードは9番人気だったから、4番人気のダイタクヘリオスのほうがもともと評価は高かった。しかし、岸騎手は、日頃から師の梅田師にこう言われていた。

「若いうちは、とにかくいろいろな馬に乗ることが一番。うちの馬とよその馬がかち合ったら、よその馬を選ぶくらいの気持ちでやりなさい・・・」

 当時の競馬界では、騎手の選択については、調教師の発言力がずっと強かった。梅田厩舎の馬であれば、梅田師の心づもりによって、いつでも岸騎手を乗せてやることができる。しかし、他厩舎の馬となると、そうはいかない。一度依頼を断ってしまうと、「次」がある保証は何もない。騎乗依頼が重なることは騎手の宿命だが、それでも調教師や馬主の虫の居所が悪いと、その後、その馬だけではなく他の馬にも乗せてもらえなくなることさえある。梅田師は、人間関係の大切さと難しさを弟子に説いたのである。

 ジャストアハード自体は、ダイタクヘリオスよりさらに人気薄だったが、岸騎手は、当時坪厩舎のムービースターに騎乗機会をもらって神戸新聞杯(Gll)で3着に入るなどの結果を残していた。ここで結果を残せば、今後のさらなる騎乗依頼にもつながってくる可能性がある。そして岸騎手は梅田師の教えを理解し、忠実に守った。その結果は、ダイタクヘリオスの2着と、ジャストアハードのブービー負けだったけれども。・・・この日の結果は、ダイタクヘリオスと岸騎手の間にその後つきまとった、一種の「間の悪さ」を象徴していた。

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