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ダイタクヘリオス列伝~女は華、男は嵐~

『期待されぬまま』

 強いのか、弱いのか。岸騎手が悩むほどにその正体がはっきりしないまま、ダイタクヘリオスは高松宮杯(Gll)へと向かうことになった。

 もっとも、当時のダイタクヘリオスに対する一般の認識は、距離が短ければ短いほどいいスプリンターというものだった。当時の高松宮杯は、中京2000mで行われていたが、この距離は、ダイタクヘリオスにとっては長すぎる、という予想が多数派を占めた。もともと安定感とは程遠く、前走では得意なはずの短距離であっさりと敗れているダイタクヘリオスへの評価がそう高くなるはずもない。

 しかも、この日ダイタクヘリオスに騎乗していたのは、主戦騎手の岸騎手ではなく、ベテランの加用正騎手だった。佐山厩舎のトーワルビーからも騎乗依頼があった岸騎手は、少しでも多くの騎乗機会を得るために他厩舎の馬を優先する、という梅田師の教えのとおり、こちらに騎乗していた。加用騎手が手綱を取ったダイタクヘリオスだったが、追い切りではまったく抑えが利かずにかかったあげく、見事にばててしまった。

 そんなこともあって、ダイタクヘリオスに寄せられた人気は、単勝オッズで1170円、8頭だての5番人気だった。・・・これは、後から思えばあまりに低い評価だったが、当時のファンにそれを不当と思った者は極めて少なかった。

 このレースで単勝140円という圧倒的な人気を集めたのは、安田記念でGl戴冠を果たしたばかりのダイイチルビーである。中間にCBC賞を使っているダイタクヘリオスと違い、ダイイチルビーは最初からこのレースに狙いを定め、直行していた。というのも、ダイイチルビーにとって、高松宮杯というレースは、彼女にとって特別な意味を持つレースだったからである。

 ダイイチルビーに「華麗なる一族」としての血を伝えた祖母のイットー、母のハギノトップレディは、いずれもこのレースを勝っている。ダイイチルビーがここを勝てば、「母子三代高松宮杯制覇」の快挙が達成される。その内国産の輝ける血統ゆえに注目を集める彼女に対し、ファンは快挙達成への期待も込めて、高い支持を与えていた。

 ダイイチルビーに集まる期待と対照的に、期待されることもないまま、ダイタクヘリオスの高松宮杯は始まった。

『夏の嵐』

 スタートとともに先手を取ったのは、岸騎手が騎乗するトーワルビーだった。狂気の逃げ馬サクラシンゲキを父に持ち、前年には忘れな草賞でダイイチルビーを相手に逃げ切り勝ちを演じている。快調にラップを刻むトーワルビーの作り出したペースは、1000m58秒3というハイペースだった。

 そして、この日の展開はダイタクヘリオスにとって、この上なくありがたいものだった。梅田師は加用騎手に対し、あらかじめ

「先頭に立つとかかってしまうから、気をつけろ」

と言っていたが、ハイペースの中で2番手につけたダイタクヘリオスは、しっかりと折り合いがついていた。岸騎手の時にはハイペースであろうとスローペースであろうとかかってしまうダイタクヘリオスが、この日はまるで別の馬のようだった。ダイタクヘリオスは、加用騎手とぴったりと呼吸を合わせたまま、前半戦を折り返した。

 この時ダイタクヘリオスの後ろには、ダイイチルビーがつけていた。だが、この日のダイタクヘリオスの目に、後方は見えていなかったのかもしれない。それまでハイペースを追走していたダイタクヘリオスだったが、第3コーナーあたりでトーワルビーの脚色が鈍ってくると、その様子に闘志を抑えられなくなったかのように、一気に進出を開始したのである。

 加用騎手は、梅田師からレース前に

「少々早いと思っても、手応えがあれば行かせた方がいい」

と言われていた。無理に抑えると走る気をなくす半面、馬の走る気さえ引き出せば、少なくともこの段階からゴールまでなら一気に押し切る底力はある・・・それが加用騎手の聞いていたダイタクヘリオスという馬だった。

 ダイタクヘリオスは、第4コーナー付近で早くもトーワルビーをつかまえ、先頭に立った。後続との差を引き離しにかかると、それに対応して後続も動く。ダイイチルビーと河内騎手も追撃を開始し、レースは直線への攻防に入っていった。

『炎の馬』

 しかし、レースの最終段階で馬の行く気に任せた時のダイタクヘリオスのしぶとさは、尋常のものではなかった。マイラーズC、安田記念でも見せた直線での競馬・・・前半の先行力を生かしてそのまま粘りこむ彼の必勝パターンが、この日甦ったのである。

 圧倒的な1番人気を背負ったダイイチルビーも、やがて外からその差を詰めてきた。馬場状態を考えていつもより前につけたという河内騎手は、この日も差し切れると思っていたという。だが、安田記念の時にはダイタクヘリオスを並ぶ間もなく差し切ったダイイチルビーの末脚をしても、この日の彼は、なかなかとらえることができない。加用騎手とともにゴールを目指すダイタクヘリオスは、京王杯SCは言うに及ばず、安田記念のときよりさらに強くなっていた。

 ダイタクヘリオスの逃げと、ダイイチルビーの追い込み。2頭がほぼ並んだところが中京競馬場・・・高松宮杯のゴールだった。2頭の間はハナ差しかなかったが、そのハナ差を守り抜いたダイタクヘリオスは見事に制覇を果たし、ハナ差攻め切れなかったダイイチルビーは、母子三代高松宮杯制覇の悲願を逸したのである。単勝1170円が140円を抑えたこの日の結果に、中京競馬場・・・否、ダイイチルビーに夢を託していた競馬界は、ざわめきを抑えることができなかった。

『梅田師の決断』

 梅田師は、万全の自信を持って馬を送り出したCBC賞の時に比べて、この日は状態面、距離の壁の点から、期待は低かったとしていた。それだけにダイタクヘリオスが出した結果は予想以上のもので、思わぬ歓喜に結果に顔をほころばせた。逆に馬券派ファンは、CBC賞の時とはあまりに違うダイタクヘリオスの強さに「いつ走るか分からない」と頭を抱え、ついには

「ダイイチルビーと一緒だと走るダイタクヘリオス」

というからかいにも似た冗談まで言われ始めた。

 もっとも、そんな冗談ではすまない者もいた。レースの後、

「僕自身、代役を果たせてほっとしています・・・」

 そう語ったのは、岸騎手に代わって手綱を取った加用騎手だった。彼は、この日の騎乗はあくまでも岸騎手の代打ととらえており、その責任を果たしたことに胸をなでおろしていた。だが、この日の勝利で一番ショックを受けたのは、ある意味で岸騎手だったかもしれない。彼が騎乗したトーワルビーは、3番人気を裏切る7着に終わっていた。しかも、勝ったのがもともと彼のお手馬だったダイタクヘリオスとなれば、心が揺らがない方がおかしい。

 しかも、レース後の競馬マスコミの論調は、そんな岸騎手の揺らぎを余計に煽るものだった。

「岸だと折り合いをつけられなかったダイタクヘリオスが、加用騎手とのコンビでやっと力を出し切った」
「岸とのコンビでは、ダイタクヘリオスは勝てないだろう」

 高松宮杯で通算22戦めとなるダイタクヘリオスは、そのうち16戦を岸騎手で戦っていた。ところが、岸騎手がいくら苦労してもつけられない折り合いが、他の騎手に乗り代わると不思議なほどあっさりついてしまう。岸騎手は、すっかり落ち込んでしまった。

 最初はダイタクヘリオスの勝利を喜んでいた梅田師だったが、岸騎手がすっかり落ち込んでしまっているのを見て、今度は考え込んだ。そして、梅田師はひとつの結論を出し、自分の部屋に岸騎手を呼んだ。

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