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ダイタクヘリオス列伝~女は華、男は嵐~

『静水の如く』

 マイルCSの始まりは、ちょっとした波乱とともにやって来た。レース前の予想では、逃げを予想された馬がダイタクヘリオスをはじめ何頭かいたが、実際に先手を取ったのは、その中に含まれていなかったイクノディクタスだったのである。

 しかし、岸騎手はあわてなかった。

「行きたいのがいれば、行かせるだけ。こっちは3、4番手でもいいから折り合いをつけて、早め先頭で押し切ればいい・・・」

 無理にひとつの形にこだわらなくても、ダイタクヘリオスの実力なら好勝負できる。その確かな信頼が、予想外の事態にあっても岸騎手の心を静水のように穏やかで落ち着き払ったものとしていた。

 イクノディクタスの様子を見ながらレースを進めた岸騎手は、ダイタクヘリオスの手ごたえがいい時のそれであることを確認した。前年は馬に引きずられるように仕掛けどころを決断した岸騎手だったが、この日は馬との間で戦機を測る余裕があった。

『絶対の勝利を』

 岸騎手とダイタクヘリオスが動いたのは、第3コーナーを過ぎた京都名物の下り坂でのことだった。この日の流れは前年に比べて速いものだったが、ダイタクヘリオスはそんな流れをものともせず、早々に先頭を奪ってしまった。

 常識的に考えれば早すぎる仕掛けだったが、岸騎手が抑えきれないほどの手ごたえで上がっていくダイタクヘリオスを見た梅田師は、この時早くも

「勝ったぞ!」

と勝利を確信したという。ダイタクヘリオスは、馬の走る意思さえ損ねなければ、少々常識を外れた早い仕掛けでも、それをカバーする息の長い末脚を使ってくれる・・・。

 梅田師の直感どおり、この時岸騎手も、完全に解放されたダイタクヘリオスの闘志と末脚に驚いていた。強引に見える仕掛けで、第4コーナー付近では後続を一気に突き放す競馬・・・それは前年のマイルCSでも彼が見せた競馬であり、ダイタクヘリオスというサラブレッドの絶対的な勝ちパターンだった。

 後続の馬たちは、速い流れの中を強引に上がっていくダイタクヘリオスの前に、なすすべもなかった。中団に控えていたシンコウラブリイと岡部幸雄騎手も、ダイタクヘリオスに行かせるとまずい、とばかりに早めに上がっていこうとする。・・・だが、彼の前は思うように進路が開かない。第4コーナーで手間取っている間に、ダイタクヘリオスとの差は一気に広がった。

「してやられた・・・」

 だが、岡部騎手がそう気づいた時、既にダイタクヘリオスは彼の手が届かないところにいた。

『女は華、男は嵐』

 第4コーナーであっという間に後続を突き放したダイタクヘリオスだったが、それで気を抜く様子はまったくなかった。既にセーフティリードを奪ったかに見える彼は、なお死力を尽くしてゴール板を目指していた。まるで、そこからなお何かが追い込んでくるかもしれない、と言わんばかりに。・・・あるいは彼だけは、背後に感じていたのかもしれない。それまで幾度となく死闘を繰り広げてきた彼だからこそ知る真の凄まじい末脚が、彼を追ってくる風を。この日の出走馬の中に、当然のことながらダイイチルビーの名前はない。だが、かつて短距離戦線をともに戦い抜き、彼があっさりと沈むレースでも常に100%の実力を発揮して好勝負し、さらに武騎手、岡部騎手といった当代随一の騎手たちも認める、彼がはまった時の競馬に対しても、良血馬のイメージからは信じられないほどの激しい闘志で最後まで食い下がってきた最大にして最高のライバル。この日彼が戦っていたのは、京都競馬場にいるはずもないダイイチルビーだった、と考えてみるのも一興である。

 最後には、さすがにダイタクヘリオスの脚も限界に達していた。最後の3ハロンのラップは、11秒4、11秒6、そして12秒2と最後の1ハロンでダイタクヘリオスの脚は、さすがに止まりかけていた。だが、それでもダイタクヘリオスは懸命に逃げた。たとえ後方から「あの末脚」が飛んできてもつかまらないように。それは、彼自身の限界に挑む逃げだった。

 ダイタクヘリオスの脚が止まろうとしていたそのころになって、ようやく後方からシンコウラブリイが追い込んできた。翌年のマイルCSを制する名牝の末脚は、1年前のこの日から非凡さを感じさせるものだった。

 しかし、この日に限っては、ダイタクヘリオスの逃げが完全にシンコウラブリイを上回っていた。彼女を抑えること1馬身半、1分33秒3で京都1600mを走破したダイタクヘリオスは、見事マイルCSの連覇を達成したのである。この日彼が記録した勝ち時計は、アイノクレスピンが記録した同コースのレコードを15年ぶりに0秒2更新するものだった。

『それぞれの真実』

 レースの後、ダイタクヘリオスと岸騎手に駆け寄る梅田師の姿があった。ハイペースの中、先行して力で押し切りながら記録したレコード勝ちは、下り坂では勝利を確信していたという梅田師にとっても、十分に満足すべきものだった。

「着差は小さかったけれど、今年の方がスムーズに競馬ができた。レースとしては、今年の方が楽だった・・・」

 そう語った梅田師の言葉は、おそらく彼の本心だろう。岸騎手もまた、インタビューに対して

「責任を果たせてほっとしています」

と答えている。前年は馬に引きずられてのレースで「馬に勝たせてもらった」岸騎手にとって、春に不完全燃焼の競馬が続いた分、

「レコードで勝ちたかった」

としていたが、その言葉どおりのレコード勝ちだった。この日も馬はかかっていたとはいえ、馬を信じて競馬を進められたという意味で、前年に比べるとはるかに満足できるものだった。

 ちなみに、この日のダイタクヘリオスの強さを認めたのは、敵たちも同様だった。シンコウラブリイの岡部騎手、藤澤師はいずれも

「第4コーナーで(前が)ごちゃつく不利はあったにしても、やっぱり勝った馬は強かった。あのスピードには、脱帽です」

とダイタクヘリオスの実力を素直に称えた。岡部騎手といえば、前年の毎日王冠の後にもダイタクヘリオスのスピードを称えているが、この日のダイタクヘリオスは、もともと彼を買っていた岡部騎手の予想をも上回る強さを見せた。

 こうして「最強マイラー」といわれるにふさわしい実力を見せつけたダイタクヘリオスは、ニホンピロウィナーに続く史上2頭目のマイルCS連覇を達成した。年内での引退が決まっていたダイタクヘリオスだが、種牡馬としての将来を測る上で、この勝利が持つ価値は限りなく重いものだった。・・・だが、そんな彼は、果たして背後に感じたダイイチルビーの風から逃げ切ることができたのだろうか。それは、彼のみが知る秘密であろう。

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