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ダイタクヘリオス列伝~女は華、男は嵐~

『昇る太陽』

 ニュージーランドT4歳Sで2着に入った後休養に入ったダイタクヘリオスがターフへと戻ってきたのは、約5ヵ月後のマイルCS(Gl)でのことだった。

 ここでは18頭だての12番人気で17着という惨敗に終わったダイタクヘリオスだったが、シリウスS(OP)4着を挟んで進んだスプリンターズS(Gl)では5着に入り、一線級が相手でも通用しうる可能性を示していた。

 とはいえ、ダイタクヘリオスが本当の意味で本格化し始めたのは、5歳になってからのことである。淀短距離S(OP)4着の後にマイラーズC(Gll)へと出走したダイタクヘリオスは、5馬身差のレコード勝ちを決めた。この年のマイラーズCは、例年の阪神芝1600mコースではなく、中京芝1700mコースで行われていた。新馬戦のマイル戦を勝った後は1200mか1400mの短距離でしか勝てなかったダイタクヘリオスは、猛烈にかかる気性から短距離馬と見られていたが、この日の勝利は、従来のダイタクヘリオス像をも覆すものだった。

 ・・・だが、この日の鞍上は、岸騎手ではなく武騎手だった。阪神3歳Sに続く2度目の騎乗で、レースではこの後ダイタクヘリオスに騎乗する機会がなかった武騎手だが、後にダイタクヘリオスについて

「まともに乗れたらどれだけ強いんだろうと、そう思わせる馬」

と高く評価している。・・・そんな逸材の晴れ舞台の日に、岸騎手は騎乗停止処分を受けていたため、ダイタクヘリオスの手綱を取ることができなかったのである。

『深まる苦悩』

 マイラーズCを勝ったことで、ダイタクヘリオスの春の目標は、安田記念(Gl)におかれることになった。だが、このころからダイタクヘリオスについては、こんな声がささやかれるようになった。

「ダイタクヘリオスは、岸では勝てない・・・」

 ダイタクヘリオスは、マイラーズCの優勝によって通算成績を17戦5勝とした。そのうち岸騎手が手綱を取ったのは、12戦を占める。

 だが、ダイタクヘリオスの目だった戦績は、なぜか岸騎手以外の騎手が騎乗した時に集中している。マイラーズC、さざんか賞の優勝、そして阪神3歳Sの2着・・・これらはすべて岸騎手以外の騎手が手綱を取った時のことである。岸騎手で勝った時には、猛烈にかかった上で、馬の地力で勝つ。ところが、岸騎手以外の騎手だと妙に折り合ってしまうから、なんとも不思議な話である。

 周囲の雑音が耳に入り始める中、岸騎手はダービー卿チャレンジトロフィー(Glll)で、再びダイタクヘリオスに騎乗することになった。・・・またも4着に敗れた。

 岸騎手の苦悩ばかりが深まっていく中、ダイタクヘリオスは安田記念への叩き台として、京王杯SC(Gll)へと向かうことになった。

『衝撃の邂逅』

 岸騎手とダイタクヘリオスの苦悩は、次の京王杯SCで頂点に達したかのようだった。先行馬たちが猛烈なハイペースでレースを引っ張ったため、この日好位に抑えたダイタクヘリオスは、普通なら折り合いがつくはずだった。「かかる」というのは、スローペースで馬が苛立って我慢できなくなったときに起こる現象である。まさか、前半800m45秒9の猛烈なハイペースの中でなおかかる馬がいるとは思えない。・・・普通は。

 だが、ダイタクヘリオスは、やはり「普通の」馬ではなかった。このハイペースの中、さらに天に向けて口を割り、凄まじいかかりっぷりを見せたダイタクヘリオスは、案の定、直線で失速し、6着に敗れた。こんな競馬をしていたのでは、そもそも勝てるはずがない。

「しょせんこの程度の馬か」

 多くのファンは、ダイタクヘリオスにあきれ、そして見切りをつけた。この日の彼のレースぶりは、あきれられ、見切りをつけられても仕方のないものだった。

 このように、自業自得で醜態をさらしたダイタクヘリオスとは違い、馬群の後方の外から、風のように鋭く華麗な末脚で駆け抜けていった1頭の牝馬がいた。最終的には2着ユキノサンライズに1馬身4分の3、ダイタクヘリオスには約4馬身の差をつけて優勝したその馬・・・彼女こそが、後にダイタクヘリオスの宿命のライバル・・・というよりは「恋人」と噂されるようになる「華麗なる一族」の末裔、ダイイチルビーだった。

『ダイイチルビー』

 ダイイチルビー・・・彼女は、「天馬」トウショウボーイを父、「華麗なる一族」のハギノトップレディを母に持ち、その良血ぶりを期待されてきた有力馬である。4歳時こそ戦績が振るわず、期待外れともいわれていたものの、古馬になってからは本格化し、この日が京都牝馬特別(Glll)に続く重賞2勝目だった。

 「牝馬の河内」・・・「牝馬の岸」よりはるかに昔からそう呼ばれてきたベテランの河内洋騎手を鞍上に迎えて快進撃を開始した彼女は、ダイタクヘリオスとはあらゆる意味で対照的な存在だった。生まれながらに煌くような、内国産の粋を集めたその血統。所属厩舎は、関西屈指の名門とされる伊藤雄二厩舎。脚質は、後方からの追い込みである。

 その点ダイタクヘリオスはというと、血統は底力こそあるものの、派手さとはまったく縁のない地味なものといわざるを得ない。所属厩舎も、失礼ながら伊藤厩舎に比べるとやはり地味な梅田厩舎である。そして脚質は、逃げか先行。

 この時点でのダイタクヘリオスは、ダイイチルビーのライバルですらなかった。というより、そもそも「この2頭を比べよう!」などということを考える人間自体がどこにもいなかった。当時の彼と彼女は、それほどにかけ離れた存在だった。

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