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ダイタクヘリオス列伝~女は華、男は嵐~

『嵐の前の・・・』

 秋に競馬場へ帰ってきたダイタクヘリオスは、毎日王冠(Gll)から始動し、前年は登録ミスで出走できなかった天皇賞・秋(Gl)を目指すことになった。

 ただ、6歳秋を迎えたダイタクヘリオスに、春のような期待感はなかった。前年の好調な流れを引き継いでいた春と異なり、春の不振は「衰え」の翳を感じさせるものだった。かつて彼としのぎを削りあった宿命のライバル・ダイイチルビーの姿も、もう競馬場で見ることはない。どちらも名前が「ダイ」で始まるため、50音順で並ぶ、枠順が決まる前の出馬想定表ではいつも隣同士の馬柱に並んでいた好敵手を失ったダイタクヘリオスの名前は、なんとなく寂しげにすら見えた。

 追い切りでのダイタクヘリオスは、あいも変わらず鞍上の手綱も無視してスタートからぶっ飛ばし、ゴールのはるか手前で失速するというパターンを繰り返していた。Gl馬といえば4年前に阪神3歳S(Gl)を勝ったラッキーゲランがいるだけのメンバーの中で、前年のマイルCSを制した実績馬でありながら単勝520円の4番人気にとどまったことにも、それなり・・・あるいはそれ以上の理由があった。

『荒ぶる』

 毎日王冠当日のダイタクヘリオスの様子は、いつにも増して凄いものだった。もともとパドック、本馬場入りでは激しい入れ込みを見せるダイタクヘリオスだが、この日パドックから暴れに暴れていた彼の癇性は、岸騎手が騎乗してからも治まるどころかますます激しさを増し、本場場入りの時にはついに岸騎手を振り落としてしまった。

 幸い岸騎手にもダイタクヘリオスにも異常はなく、彼らはそのままレースに臨むことになったが、東京競馬場を埋めるスタンドからは、思わず失笑が漏れた。ダイタクヘリオスは、やはりトンでもない馬だ・・・。大観衆の前での赤っ恥をかかされた岸騎手は、レース直前でありながら、自分の顔が真っ赤になるのを抑えられなかったという。

 この日のダイタクヘリオスは、そんな荒ぶる闘志をそのままレースに持ち込んでしまった。スタートとともに弾丸のように飛び出した彼は、もう1頭のGl馬・ラッキーゲランを振り切って先頭に立ったのである。

 一般的には「逃げ馬」といわれるダイタクヘリオスだが、実際に勝ってきたレースを見ると、スタートから飛ばしたレースは、条件戦はともかく重賞になると、直線でばてて他の馬に差されている。ダイタクヘリオスがばてた場合、直線で口を開けて頭を横に傾けながら沈んでいくが、その様子は「笑いながら沈んでいく」とたとえられた。彼が勝つ展開は、2番手か3番手でなんとか折り合った上で、第3コーナーあたりから猛烈なスパートをかけて突き放していく、そんなレースだった。その意味で、「行ってしまった」ダイタクヘリオスのレースは彼の必敗パターン・・・のはずだった。

『燃える夢』

 ・・・ところが、この日のダイタクヘリオスは、それまでの彼とはまったく違っていた。前半から先頭に立つと、ゴールまでのペース配分などないかのようにどこまでも行ってしまい、自滅していたダイタクヘリオスが、この日は緩みないながらも自らの能力を100%生かしきることができる競馬を、自らの手で作り出していた。衰えがささやかれた春の競馬がまったく嘘のようだが、ダイタクヘリオスにしてみれば、この時期にようやく競走馬としての完成期を迎えたのかもしれない。

 直線に入ってから追撃してきたのは、イクノディクタス、ナイスネイチャといった人気上位の面々だった。だが、最後まで余力を残したダイタクヘリオスは、イクノディクタスを半馬身抑えたまま、ゴールを先頭で駆け抜けた。芝1800m1分45秒6・・・その勝ちタイムは、サクラユタカオーが6年前の毎日王冠で記録した日本レコードを0秒6塗り替える日本レコードだった。梅田師、岸騎手とも半ばあきれながらではあったが、ダイタクヘリオスの実力に確かな手ごたえを感じ取っていた。

「天皇賞でも恥ずかしいレースはしないと思います」
「高松宮記念や有馬記念の競馬からも、距離の心配はしていません」

 そう語った彼らに共通していたのは、

「(天皇賞・秋で延長される)残り1ハロンを13秒で走れば、十分勝負になる」

という計算だった。なるほど、天皇賞・秋でも毎日王冠とまったく同じ競馬で1800mを走れば、残り200mでばてて13秒かかったとしても、2000mを1分58秒6で走破する計算になる。それまでの天皇賞・秋のレコードは、1990年にヤエノムテキが記録した1分58秒2であり、またダイタクヘリオスは、毎日王冠の最後の直線600mも、11秒9、11秒6、12秒0でまとめている。それらもあわせ考えれば、彼らの計算は単なる机上の空論ではなく、十分成り立ちうるようにも思われた。

『府中に吹く嵐』

 今度こそは登録を忘れることなく、ついに天皇賞・秋への出走を果たしたダイタクヘリオスは、なかなかの期待を集めて3番人気に支持された。ちなみに、この日1番人気に支持されたトウカイテイオーは、「絶対皇帝」シンボリルドルフの子である。かつてシンボリルドルフに挑み、戦い、そして敗れ去っていったビゼンニシキを父に持つダイタクヘリオスにとって、この戦いは因縁の対決でもあった。

「今度は先頭に立って馬の思いどおりの競馬をさせよう・・・」

 岸騎手は、レースにあたってそう考えていた。ダイタクヘリオスが力を出し切る鍵は、道中でいかに馬の気分を損ねずに走らせることができるかにかかっているという点で、衆目は一致している。それまでは先頭に立つとさらに興奮して行ってしまうという困った癖があったダイタクヘリオスだが、毎日王冠での競馬は、彼の精神的な成長をうかがわせるものだった。今のダイタクヘリオスならば、早めに先頭に立たせた方が、いい競馬ができるに違いない・・・。

 しかし、岸騎手は、この日の出走表に名前を並べた「ある馬」に対する認識が欠けていた。あるいは、あったとしても、不十分だった。

「逃げなければ、レースにならない」

 そう考えて、逃げることにすべてを賭けたサラブレッドが、もう1頭。その馬は、春のグランプリ・宝塚記念(Gl)を制したメジロパーマーだった。

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